テクノロジーによって生み出されるユートピア

Doublethink means the power of holding two contradictory beliefs in one's mind simultaneously, and accepting both of them.

 二重思考とは二つの矛盾した信念を持つと同時に両者を受け入れる力を意味する

By George Orwell 

テクノロジーは素晴らしいのか

インターネットは我々の世界を豊かにした。そしてインターネットを豊かにしたのは多かれ少なかれここ数年で起きたテクノロジー革新に起因する。これはまぎれもない事実だ。そして技術繁栄の速度は年々早くなっている。当時僕がアイフォンに機種変更したときは僕の周りで同じくアイフォンを使っていた人ははっきり言って一人二人いれば良いほうだった。アメリカに飛んだ後も現地でアイフォンを使っている人は僕を含め一人(当時の僕のカウンセラー)だけだった。中にはスマートフォンを使っていた人は3、4人いたがそれでもまだ小規模だった。もちろん当時の僕がスマートフォンなんていう単語を知る由はなかった。

あれから早30年近くが経とうとしている今、テクノロジーと僕たちの関わりは大きく変わった。dscoutによるとアメリカ人が一日にスマホにタップ、スワイプ、クリックする回数は平均で2617回という結果が出ている。一般的な成人の睡眠時間を8時間と推定すると1時間につき186回、1分で3回スマホを触っているという計算になる。米国民全体の77%がスマートフォンを所持しているとするとすれ違う人の大半は皆スマートフォンを使っているという計算になる。怖い話である。

ところでテクノロジーって一体なんなんだろうか

テクノロジーは広義的な意味を持つ。

テクノロジーは基本的に「特定の分野における知識の実用化」とされたり、「科学的知識を個別領域における実際的目的のために工学的に応用する方法論」とされる、用語・概念である。 そこから派生して「テクノロジー」は、科学的知識をもちいて開発された機械類や道具類を指すこともある。 また、「エンジニアリングや応用科学を扱う、知識の一部門」ともされる。 組織的手法、技術といった、より広いテーマを指すこともある。

wikipediaより

テクノロジーというと「機械、ネット、ロボット」と言った単語を連想しがちだが、例えばピラミッド建設も一つのテクノロジーとして捉えられることができる。

僕個人の視点から言えばテクノロジーの素晴らしさはその浸透性にあると思っていた。そしてその浸透性は2つの意味で解釈できると考えている。より身近へと行き渡るという意味での浸透性、そして私たちの生活行動パターンが不特定多数の第3者に知れ渡るという意味での浸透性である。

より身近へと行き渡るという意味での浸透性

テクノロジーの浸透性によって生み出された便利さは偉大だ。

90年代後半、マクルーハンは"The internet as an extension of consciousness"としてメディアを取り巻くインタネット、それに伴うテクノロジーの革新がいかに我々の生活を変えていくかについて話していたのを覚えている。同感である。そしてテクノロジーは私たちの意識まで変えかねる存在になりつつあると思う。いや、すでに私たちの意識はテクノロジーによって少なからず操作されていると言った方が正しいかもしれない。

今世の中に出ているサービスのほとんどは"On Demand(サービス享受者が必要な時に必要なサービスを個人のニーズに最適化された形で利用できること)"という考え方に基づいて設計されている。そして私たちが日常生活において必要なことのほとんどは遅かれ早かれスマートフォンに集約されていくであろう。宿泊先に困っている?それならAirbnb一つで事足りるかもしれない。お腹が空いたらUbereats、Postmates、Doordashを使えば自分の好みの店舗から自分の好きなメニューを自宅まで届けてくれる。A地点からB地点までストレスフリーに移動したい?それならUberやLyftがあれば十分だ。これもテクノロジーが私たちに与えてくれたもの一つであると言っていいだろう。

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今世に出ているサービスの縮図はcraigslistに集約されていると言っても過言ではないだろう。

ユーザー視点に立ったテクノロジーの生み出す価値ってなんなんだろうか

そこでテクノロジーの生み出す価値って一体なんなんだろうか。一般的に価値とはある一定の社会に生きる人々が(無)意識的に作り出す社会的構成概念の一つだ。そして価値は比較の原理とその価値を享受する人たちの生きる時代の文脈によって大きく左右されるんじゃないかと僕は思う。言い換えれば価値は結果として生み出されるもの。テクノロジーがその時代に生きる人のその時代の文脈にフィットし不特定多数の人に使われることで結果的に価値が生まれる。極端な表現をすれば今日の文脈でいう価値とはユーザーの「あっこれめっちゃ便利だよ。ホーム画面に入れて毎日使ってるよ」というセリフは価値を生み出していると言える。

サービス提供側に立ったテクノロジーの生み出す価値ってなんなんだろうか

サービス提供側が考える価値とはなんなんだろうか。彼らはビジネスにおいて何に価値を置いているのだろうか。それは「人を集める」ということだ。いかに自分たちのサービスを中心に人を集めたかがその企業の価値になるわけだ。そのために企業は潜在的、非潜在的であれユーザーが必要としている(と考えられる)ものを提供する。それが価値を生み出すためにもっとも最適な手段であるからだ。これはテクノロジー有る無しに関わらず普遍的な考え方だ。

ではテクノロジー豊かなこの時代におけるサービス提供側の価値とはなんだろうか。数ある中でも「ユーザーが24時間の中でどれだけの割合で自分たちのサービスを使ってくれるか」は大きい要素である。

私たちの生活行動パターンが不特定多数の第3者に知れ渡るという意味での浸透性

この「人を集める」という価値はテクノロジーによってより重きを置かれるようになった。テクノロジーの浸透性によって私たちはこれまでと比べてより多くの層へのアプローチを可能にしたからである。人を集めることで得られるデータだけでも金になる時代だからだ。たしかに根源的に「人を集める」こと自体に対して良い悪いはない。しかしテクノロジーによる潜在的な規模の「人を集める」という行為は同時に集権的なネット社会の構成を意味している。

証拠に私たちの身の回りにあるテクノロジーを見渡してほしい。私たちをインターネットの世界へとつなげているケーブル、普段使っているパソコン、スマートフォン。そして仕事、学校、普段の生活で使うソフトウェアたち。私たちの社会は指で数えられるほどの数社によって監視、分析されていると言っても過言ではないだろう。

私たちの生活行動パターンは監視、分析、利用されているかもしれない

 Outrage is a really good way also of getting your attention, because we don't choose outrage. It happens to us. And if you're the Facebook newsfeed, whether you'd want to or not, you actually benefit when there's outrage. Because outrage doesn't just schedule a reaction in emotional time, space, for you. We want to share that outrage with other people.So we want to hit share and say, "Can you believe the thing that they said?" And so outrage works really well at getting attention, such that if Facebook had a choice between showing you the outrage feed and a calm newsfeed, they would want to show you the outrage feed, not because someone consciously chose that, but because that worked better at getting your attention. 

- Tristan Harris

 

上で挙げたような事例をより内側からわかりやすく説明してくれるビデオがある。

www.ted.com

気になった点:
  • 彼はグーグルで人がどのようにして感情を誘導していくのかという研究をしていたという。お知らせ機能によって元々意図していなかった感情へと誘導されていく。
  • 全てのテック企業が求めているのは私たちの注意を彼らのプロダクトに向けさせること。それを一番手っ取り早くかつ正確に行うためには人々の感情の動きについて研究して技術として導入すること。私たちの身の回りにあるプロダクトはそうした研究によって得られらた技術が使われている。

意図せずして生まれたテクノロジー公害

こうした現象は1950年代から70年代にかけての高度経済成長期に日本が体験した公害病とどこか近いところがあると僕は思う。Twitter、Facebookが発明したいいね!ボタン、お知らせ機能、スクロールダウンによるフィードリフレッシュ機能をはじめとしたテクノロジーの装飾は意図的ではないにしろ私たちにとってなんらかの快感をもたらすという研究が出ているという。しかしテクノロジーによって作り出される公害はどこか人間の根源的な欲求を操作してしまうのではないかと僕は危惧している。

GoogleやFacebookをはじめとした企業は世に散っている天才的なエンジニアを集めて人間の根源的な欲求に訴えかけるようなサービスを作ろうとしている。この企業間のユーザー取り合いは今後数年続くであろう。資本主義において「世の中に価値を提供して利益を生む」ということは善であるから。

天才が集まった企業が全精力をかけて人を集める。どんどん人を集める。思いもよらない結果に。私たちが気付いてもいないような根源的かつ潜在的な価値を作り出すようなサービスは果たして素晴らしいのか。良いことなのか。人々にとって善なのか。

 

参照

www.theguardian.com

blog.dscout.com